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水木 しげる
講談社 コメント:講談社の少年マガジンに連載されていたときのゲゲゲの鬼太郎は骨太。ページから発散されるエネルギーは力強くて、足腰を踏みしめて挑まないと引きづり込まれてしまいそうです。長編が何処で分けて掲載されたのかが分からない。 |
水木 しげる
講談社 コメント:はなから無かったことにされた日本の戦争史。存在は感じられていても形として姿を与えられた妖怪。絵師の全くの空想の産物ではないでしょう。妖怪を書く事で水木しげるは大手出版社から刊行されることのなさそうな“玉砕”がかけたのだと思っています。 |
TVサントラ,きたろう,熊倉一雄,聖飢魔II,泉谷しげる,滝口順平,ザ・フォーク・クルセダーズ,坂本九,古田喜昭
インデックス ミュージック コメント:ゲッゲッゲゲゲのゲー・・・昭和歌謡史の1曲にいずれ数えられることになると信じています。カランコロンの歌もぜひ忘れられないで欲しいですね。フォーククルセイダーズが許可もないのにレコード発売していたことも昭和らしい優しさが感じられますね。 |
菅井さんは、戦後昭和の青年像の一つをシンボライズしたものではないのでしょうか。水木しげるさんの半生を妻、布江さんの目から描いた「ゲゲゲの女房」。折り在る毎に夫の少年時代の様子を聞いて目を輝かせる布枝。戦後の混乱期に結婚した夫婦には当たり前のようなことが、観ている視聴者はどう観ているのでしょう。
番組予告で妖怪のアニメーションが合成されていたことや、NHKが水木しげるを取り上げるなんてという声を聞きましたけれども番組始まったら観なくなった人。一方前評判では気乗りしなかった人たちが興味深く見始めたりと、また、水木プロダクションが出来るくだりからしっかり乗り出してみている人たちも今した。「悪魔くんの映像が見られるかな」と期待を寄せていたツイッターの友達もいます。
ゲゲゲのアシのスガイさんのモデルは誰なのかな?
左から、水木しげるさん、北川和義さん、つげ義春さん、池上遼一さん。ゲゲゲの鬼太郎のコミックは多くの種類が発売されていますが「少年マガジン・オリジナル版」の第一巻に、池上遼一さんの解説文が収録。池上遼一さんはテレビ(NHK連続テレビ小説 ゲゲゲの女房)では倉田圭一という名前でした。それによると、つげさん(同テレビ番組では、小峰章)とアシスタントになった頃には水木しげるの貸本時代のマンガ家が何人も手伝っていたようです。
ゲゲゲの女房の中で講談社(雄玄社)編集長が「印刷したらベタにしか見えないでしょう」と書き込みのこまやかさに感嘆していましたが、水木しげるさんの漫画はとても独創性に富んだもの。メディア(貸本)にあわせて描かれていたものではないので、今の高画質印刷にも絶えうるわけですが手伝おうにも貸本漫画の腕利きの作家さん達でも手を焼くものではなかったのでしょうか。恐らく点々打ちか枠線引き、べた塗りがほとんどだったのは仕方のなかったことだと思います。
貸本漫画と言えば、現在に置き換えたら毎週締め切りに追われているアニメーションのようなもの。優れたアニメーターは多くいますけれども、求められるのは均質な画。これこそいずれパターン化されてしまう文化かも知れません。
パターンと言えば、わたしの小さい頃にはちょっと大きめの文具店に行けば数多くのスクリーントーンが買うことが出来ました。点々の種類どころか、そのまま貼って背景画になる様なものまでありました。点々も色々な種類が今ではパソコンで容易に出来るので、一つ一つを手書きしていた凄まじさはどれほど伝わるのかしら。砂かけ婆の顔の点々を菅井さんが書いていたかも知れないと思うと、ゲゲゲの鬼太郎を観る楽しみ方も増えますね。小さい文庫、コミックで観るよりも週刊誌サイズで味わいたいものです。
ゼタの深沢さんに預けた漫画の原稿が紛失するエピソードがありましたが、実際は別の出版社の有名な話しがありますが数多くあったのではないかな。後に描き直されて発表されていたと記憶しています。今だと著作権が厳しそうですね。
菅井さんは多くのアシスタントさんの人格の集合体のようなところがあります。貸本時代のマンガ家さん、水木さんを頼って集まってきたマンガ家の卵。「テレビくん」が講談社漫画賞を受賞してからは、多くの人が頭の中に描いていたようなストーリーだし、親しみやすい絵柄に自意識の強いマンガ家希望も多く訪れたことでしょうね。時代は高度成長期、働く場所、活動する機会は今とは180度違っていたでしょうから「点々打ち」に集中した菅井さんのような存在は昭和という時代を映しているように感じながら、今日も「ゲゲゲの女房」を楽しんでいます。
尚、初期のアシスタントに「五郎くん」という食べることだけで居着いていた存在(これがテレビでは貧乏神に転じてるのかしら)もあるようですけど、北川和義さんは栃木県出身のかんぴょう農家の息子だと言うことですので、菅井さんは北川和義さんだと観ても間違いではないでしょう。人間、水木しげるではなくて、マンガ家水木しげるを身近で見つめていた歴史の立会人としてキーパーソンと言えます。水木プロダクションの重要人物、実在する鬼太郎・・・?、とは言い過ぎとしても「妖怪」であることには間違いないですね。[ JUGEMテーマ:ゲゲゲの女房 ]
コメント:レコードがヴィニールで作られるようになって扱いが楽になったことが需要が高くなってきた背景にあります。録音のデッカがアメリカ市場に載りだした頃、クラシックでもジャズでもなくオリジナル曲でない親しみある映画音楽をゴージャスに演奏して喜ばれました。
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コメント:マントヴァーニ、スタンリーブラック、フランク・プールセル。クラシック音楽の老舗DECCA、EMI。米コロンビアはパーシー・フェイス楽団の新風で巻き返し。当時のポップスやロックまでを演奏してイージーリスニングというジャンルを席巻しました。
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コメント:テルミン、オンドマルトノと電子楽器の潮流がはじまる直前。「カッコーの巣の上で」のオープニング音楽は意欲的な逆転の発想。今聴けばシンセサイザーだと思うのではないかしら。ピコピコサウンドでなかったことが名曲入りの秘訣ではないでしょうか。
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カッコーの巣の上で を午後(NHK Bs-hi 2010年8月26日木曜日、午後3時)観ていました。のこぎりで演奏した主題歌が懐かしく、発想ありきで新しいものは生まれるものだなと感じています。
映像の中の名曲で映像の中のクラシック音楽ではありませんけれども、「カッコーの巣の上で ONE FLEW OVER THE CUCKOO'S NEST 」をはじめ耳にする機会の多い名曲「シャルメイン CHARMAINE」。マントヴァーニ楽団が1951年に録音したレコードは大ヒット「クラシック」と言っても良いでしょう。マントヴァーニ楽団(MANTOVANI and HIS ORCHESTRA)は40人を超える大楽団。最近ではストリングスはシンセサイザで作るバンドも多いけれども30名近くがストリングス。ヴァイオリンだけで20名は通常のクラシック・オーケストラ並みですね。
だからでしょうかCDの問い合わせを受ける時に、「クラシックと思いますけど」って誤りを正すような問い返しがあったりもします。マントヴァーニ楽団のサウンドは一聴して分かり易い。ヴァイオリンが多いことを活かしてタイミングをずらして弾くことでカスケード効果を出しているのが特長です。マントヴァーニは名前から推察できるようにイタリア、ヴェニス生まれ。ですが、イギリスに移住、音楽を学びます。そして第二次世界大戦後にアメリカへポピュラー音楽で進出したわけですけれどもイギリスのオーケストラ界では戦争中に戦死した楽団員が多くてハレ管弦楽団では女性演奏家をたくさん起用してジョン・バルビローリが第三次黄金時代を迎えていた頃ですよね。ヴァイオリン演奏家はもとよりたくさんいそうですから、楽団員として揃えることは難しいことではなかったと思います。
管楽器と比べてストリングスの数が異様に大きいマントヴァーニ楽団の編成は、第二次世界大戦後という事情もあったのかも知れませんね。カスケード演奏もドイツ式の縦の線を揃えたスタイルでもないし、個人芸に長けていようとブレンドされてしまうのではないかしら。徐々に演奏技術が上がればいいわけですから、腕達者がフォローして成長を待てば良いですものね。1990年代に女性だけのオーケストラが話題にされたことがありましたけれども、戦争前と戦争後のヨーロッパもアメリカも女性の楽団員は占める割合が変化した時代ではないかしら。
戦後の音楽はアメリカが元気。映画の主題歌を中心にレコード文化が商業的ささえとなっていきます。アメリカの映画主題歌をレコードとして楽しまれる時代のムーブメントの中でマントヴァーニ楽団が果たした役割は今感じるものよりも大きかったと、わたしは感じています。1951年にレコード発売されて大ヒットした「シャルメイン」はマントヴァーニ楽団の代表作。名刺代わりの曲です。この曲も1926年のアメリカ映画「栄光なにするものぞ」の主題歌です。マントヴァーニのオリジナル作ではないんですね。
プールでスタイル作りしている女性の姿が当たり前になりました。水に親しんでいる子どもたちも女の子が多いように見受けられます。わたしは泳ぐのが苦手で撮られた写真を見る限りではプールをエンジョイしているように観られるけれども、水から出ると顔を拭ってばっかりでした。
水の中から出る時の音の聴こえ方が変わるのは興味深いものがありました。シャルメインなどをはじめ、マントヴァーニ楽団やパーシー・フェイス楽団が子どもの頃遊んでいた遊楽場のプールでは良く聴こえてきました。大人になったらプールバーで聴く機会があったりと、「シャルメイン」を聴くと夏の終わりをイメージします。
一羽は東に、一羽は西に、一羽はカッコーの巣の上を飛んでいった・・・・・・
それぞれ一羽一羽に羽ばたき向かう空がある。
妖精たちの夏はこれから、妖精たちの青春が楽しみ。
たくさんの妖精の中でも、今一番楽しみなのが
坂本九,永六輔,岩谷時子,浜口庫之助,青島幸男,きむらりひと,山上路夫,河野洋,マイク真木,石山透,荒木とよひさ
コメント:シンガーとしての歌唱力。その歌の言葉に表情があるのが魅力ではないでしょうか。歌詞としてではなく、歌という心の通った語りかけを感じます。 |
日暮れの写真の中に、熊本空港へ着地態勢に入っていると思われる旅客機が写っていました。撮影している時には気がつきませんでしたが、無事に帰ってきたという思いで安心感をわたしは感じます。あなたはどうでしょうか。
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日航機墜落事故が起こって、今日が25年目になります。この事故の報道は、わたしの気持ちの奥に尚更に飛行機の音に敏感になる要因を加えたのではないでしょうか。ちょうど今、この1行を入力していて「日航機墜落事故」が直ぐに変換された(はてなキーワード)ことに驚いています。そして頭上で旅客機の音がいつもより大きく聴こえました。
空を飛んでいる旅客機を見つけると、かっこよくって手近にカメラを持っていたら必ずレンズを向けているほどにロマンを感じるのに爆音だけにはどうして不安感を書き立てられてしまうんだろう。暴走族には爆音だけではなくて、近くではなく充分に離れていても怖いって感じるのに不思議なものです。
でも、旅客機も頭上に迫るほどに飛んできたら怖いどころの気持ちではないでしょうね。
キュウちゃん・・・・坂本九さんのことを、わたしの家では「きゅうちゃん」と呼んでいました。ずっと幼い頃に「ピーちゃん」ということりを飼っていました。まだ保育園にもならない頃だったので記憶にはハッキリとはしていないけれども、「きゅうちゃん」と「ピーちゃん」と口にする時にこもる気持ちは似ています。坂本九さんにはテレビ画面を通してだけしか見たことがありません。坂本九さんが出演された映画も、まだスクリーンでは観ていないはずです。
ピーちゃんを飼っていたのは事実で、中学生になる頃に増築する頃までは家の裏に鳥かごが放置されていたし庭の隅に「ことりの墓」はずっと残っていたので小学生の頃はいつも目にとまっていて飼っていた事実、死んでしまった原因は記憶にしっかりあるのに「ピーちゃん」の実感はありません。
飛行機事故の報道。テレビ番組が総て休止されてずっと事故で亡くなった方の名前が画面に並んでいくばかり。25年前の「日航機墜落事故」の報道の時に初めて、わたしは接したのではないでしょうか。
今だったらどうだろう。さっさとビデオに切り替えて映画や音楽を見始めてしまうのではないかしら。その映画や音楽の中で、事故や事件報道されているアーチストやミュージシャンを見ながら気持ちは何処にあるのだろうか。身近な存在ではないからと、命が存在しなくなった空虚感を感じるでしょうか。
とても怖い。
インターネットを通じて、即時に有名人の死亡が伝えられます。ロックミュージシャンの死亡がテレビニュースのトップに報道されたのは、ジョン・レノンが日本では初めてではないかと思いますけれども、その衝撃を感じられなくなっているようです。[ JUGEMテーマ:今日、こんなこと、あんなこと、あった。 ]
日航機墜落事故が起こって、今日(8月12日)が25年目になります。
この飛行機事故で坂本九さんは、亡くなりました。43歳。新しくできたレコード会社、ファンハウスから新たな出発をされようとしている矢先のことでした。チューリップや、甲斐バンドと言ったニューミュージックの旗頭が多くいたエキスプレスレコードが生まれ変わるために登場してきたのがファンハウスでした。
親会社になるEMIレコードは、創設以来新しい技術には無関心な体質を持っているみたいです。マリア・カラスの録音例を挙げるまでもなく、ビートルズの初期の録音がモノーラルでしかないことは残念な思いで聴いている音楽ファンは多いでしょう。1960年初、時のチーフエンジニアだったウォルター・レッグが経営陣と喧嘩別れとなったのは、まだまだ世の中ではステレオの再生装置が普及していないからという理由でした。
同じ経営陣がまだ居たのか、前例を踏襲したのかデジタル録音も懐疑的でカラヤンが長年の関係を断つことにもなってしまっています。
さて、坂本九さんがファンハウスで新しいことを起こしてくれたかどうかは、今ではどうしようもないことですが《スキヤキ・ソング》のニューレコーディングはされたのではないでしょうか。
1961年にシングル盤として日本でヒットした《上を向いて歩こう》。それがアメリカで《スキヤキ・ソング》に転じたいきさつはいくつかこぼれ話があるようですが、タイトルは《スキヤキ》でも《上を向いて歩こう》のまま、日本語のレコードがアメリカでリリースされたのはレコード史に残る偉業です。1963年にLPレコードとしてアメリカ・キャピトルレーベルからリリース。1963年6月にビルボード誌で第1位になっています。
1970年代後半には、多くの日本人歌手が米録音をしていますが日本だけでのリリースのため。米リリースされたものもありますが、英語版を再録音しています。
昭和30年代という日本の勢いが成したことなのでしょうか?
日曜日の4月の陽気から、月曜、火曜日は雨となった熊本。今日も曇り空で肌寒いひな祭りとなりました。さくらもまだ先になりそうです。ツバキも雨で落ちています。梅も花を落としてしまっていました。
ひな祭りを美空ひばりさんのレコードで、のんびりと過ごしています。ジャケットカラーが桃色で、目にとまったのでこの曲を「私撰・昭和の名曲」として今日は選びました。[ JUGEMテーマ:ひな祭り2010 ]
【7"】美空ひばり/ 蘇州夜曲 (日本columbia) 昭和38年(1963) 10月20日発売。ステレオ盤。
作詞:西條八十、作曲:服部良一による永遠のスタンダードを歌う美空ひばり。
「蘇州夜曲」は渡辺はま子、石川さゆりさん、雪村いづみさん、そしてもちろん李香蘭と、この曲を素晴らしいものにしてきたアーティストたちはたくさん存在するんですけれども、お嬢ほどこの曲を完璧に自分のものにしている歌い手はいないと思ってます。
歴史的背景を思わせない出来で、純粋に楽曲に永遠性をもたらしています。
高音から低音へのスムーズな流れ、フェイクじゃない裏声で、メロディを掴んで離さない感覚とお嬢の魅力を存分に味わえる名歌唱になっています。
シングル盤ですからジャケットに色あせがあるのは仕方ないでしょう。レコード店の片隅にでも眠っていたのでしょうか、盤はまあ良好の部類で残っているのことがありそうです。中古相場では1,800円以上。
今年はショパン、シューマン、マーラーと作曲家のアニヴァーサリーが重なっています。
その作曲家たちも、色々とその後の音楽を替える重大な存在が揃っているのではないでしょうか。
そしてわたしの記憶違いでなければ、日本コロムビアレコードが設立されて100年目をも迎えると思います。
明治の終わり(明治43年)に、川崎工場からスタートしました。小さい個人レベルのレコードはありましたけれども大きな企業としては、日本の最初のレコード会社のはじまりだと言っても良いでしょう。
美空ひばりさんのヒット曲に「港町十三番地」(1957年3月10日、SPレコードで初発)がありますけれども、これは当時の日本コロムビアの工場の住所です。と一般的には解説されています。正確には港町九番地だったのですけど、こぶしを回しにくいですよね。
レコードを解説する時のも、くどくなるので通常スルーしています。
美空ひばりさんは大歌手なので、伴奏のストリングスもメンバーが多いように聞こえます。
在京のオーケストラのメンバーが演奏していたかも知れませんね。
戦争中に組織は変わることになりましたけれども日本コロムビアはアメリカ資本で作られた外資系のレコード会社でしたので、盤質はどれも優秀。子ども向きのクラシックレコードの製盤の良さは、コピーノイズの感じられるところがなくて嬉しいことでした。
アリス=紗良・オット,ショパン
ユニバーサルクラシック (2009-10-14) コメント:ショパンの中でも楽しく聴けるのが「ワルツ集」。ショパンがウィーンを離れる時にシュトラウス・ファミリーが大ブームでした。移った先のパリでも同様だったけどショパンは同じ「ワルツ」と題名をつけてシュトラウスを皮肉っています。 |
オルフェウス室内管弦楽団,モーツァルト
コメント:ひな祭りの朝は、モーツァルトのセレナータ・ノットゥルナで始まりました。思い返せばひな祭りのBGMに聴いている機会が多い。職業作曲家としてのモーツァルトの音楽は、意表を聞き手に感じさせないところが素晴らしい。商いの心得がきちんとしていると思います。 |
新室内楽協会,原信夫とシャープス・アンド・フラッツ,木村好夫
コメント:カチューシャの唄、リンゴの唄から、恋人よ、昴の他 時には母のない子のようにと言う曲までをカバーしている美空ひばり。流行歌歌手としての姿勢は貫かれています。だからこそ芸術性も高いと言われることになっているのでしょう。 |
アニメ主題歌,子門真人,水木一郎,高杉俊价,藤浩一,串田アキラ,宮内洋,石原慎一,風雅なおと,ROLLY,松本梨香
コロムビアミュージックエンタテインメント (2007-01-24) コメント:仮面ライダーV3の少年ライダー隊の歌が好きです。母のスカーフを赤いマフラーのつもりになって、風に吹かれて楽しんでました。 |
石ノ森 章太郎
中央公論社 (1994-11) コメント:石ノ森章太郎さんのコミックを初めて見た時、仮面ライダーがバッタの怪人であることが艶めかしくて驚きました。 |
石ノ森章太郎
ゴマブックス (2009-01-28) コメント:サイボーグ009や、映画で親しんでいたので母も内容を確認しないで買ってくれた一冊。青年向けだとは思わないで読んでいました。今のわたしを形成している重要なマテリアル。まだ未読の方で、わたしの秘密な部分を、もっと知りたいと思っていたら読んで下さい。 |