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気ままにクラシック
パーソナリティ:笑福亭笑瓶、幸田浩子 2011年1月24日月曜日、午前7時20分放送。
「歌劇“フィガロの結婚”序曲」 モーツァルト作曲(3分55秒)
(管弦楽)シンフォニア・ヴァルソヴィア (指揮)エマニュエル・クリヴィヌ <DENON COCO-70366> モーツァルト:オペラ序曲集より使用。
「“無伴奏チェロ組曲 第1番”から“プレリュード”“アルマンド”」バッハ作曲(7分02秒)
(チェロ)ミッシャ・マイスキー <ドイツグラモフォン UCCG-7065> バッハ:無伴奏チェロ組曲第1&3&5番より使用。
「フィンランディア」 シベリウス作曲(9分23秒)
(管弦楽)ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団 (指揮)ヘルベルト・フォン・カラヤン <ドイツグラモフォン POCG-3874> シベリウス:フィンランディア/タピオラ/ペレアスとメリザンド、他より使用。
「鐘」 リスト作曲(4分50秒)
(ピアノ)ヴァディスワフ・ケンドラ <Deutche Schallplatten 25TC-301> うるうるHAPPYクラシックより使用。
「菩提樹」 シューベルト作曲(5分38秒)
(テノール)ペーター・シュライヤー <PHILIPS 28CD-3162> Schubert: Winterreise / Pno Sonata D840
▽“名曲温泉”コーナー
「練習曲 嬰ハ短調」 スクリャービン作曲(3分04秒)
(ピアノ)中村紘子 <SONY SRCR-9621> エリーゼのために 中村紘子が選より使用。
「歌劇“ベルニーチェ”序曲」 ヘンデル作曲(2分42秒)
(管弦楽)エンシェント室内管弦楽団 (指揮)クリストファー・ホグウッド <Decca POCL-4785> Canon & Other Baroque Favoritesより使用。
▽“私の日本一景”コーナー
「“森の風景”から“予言の鳥”」 シューマン作曲(2分44秒)
(ピアノ)ウラディーミル・アシュケナージ <Octavia OVCL-00052> シューマン:クライスレリアーナより使用。
「“ペールギュント”組曲から“ソルヴェイグ”の歌」 グリーグ作曲(5分10秒)
(ソプラノ)アンジェラ・ゲオルギュー (ピアノ)マルコム・マルティノー <LONDON POCL-1809> 世界の歌 夢に来ませ~川の流れのようにより使用。
「“ボヘミアの森より”から」 ドボルザーク作曲
(ピアノ)ヴィエラ・レイスコヴァー、ヴラスティミル・レイセク <日本コロンビア COCO-75474> おしどりピアノデュオの録音。1993年7月21日発売で現在廃盤。現在お薦めできるレイセク&レイスコヴァーのドヴォルザークは ドヴォルザーク:スラブ舞曲集 です。
(2009-06-10)
コメント:アナログレコードも変わらぬ人気のサイモン&ガーファンクルですが、5枚のオリジナル・アルバムは競争率の高いものです。日本同様に米国でもファミリー・ギフト向けに発売されたセット物を探すのも1つの手。Blu-rayスペックCDも入手困難になってます。 |
(2009-07-22)
コメント:何度も何度も繰り返しLP、CDで発売された名曲、名盤。リマスターで音がいじられるのとは違って、再生メディア自体を見直したCD(デジタル・ディスク)が色々と登場。CDとブルースペックCDを聴き比べるには同じマスターを使った当盤で試すのが1番でしょう。 |
オーディオを楽しむのに良い季節が戻ってきます。食べるものはまだ充分に秋の味覚を堪能するのには先になるかも知れませんが、急に寒くなって慌ただしい冬支度になるまでの間はオーディオファイルには1番心地良い時期でしょう。
金曜日の朝は、早朝から陽が高く。午前中はまだ過ごしやすかったものの、午後は最高気温34度になりました。午後6時を過ぎても29度と熱帯夜になりそうです。
秋になると聴きたくなる音楽(秋と固定するのではなくて季節の移り変わるときに聴く音楽と言ったらいいでしょうか)に、サイモン&ガーファンクルが在ります。心地良い風とポール・サイモンとアート・ガーファンクルのハーモニーは似合っています。
今日はサイモンとガーファンクル「グレイテスト・ヒッツ(US CBS、1972年リリース盤)のCDを墺(オーストリア)プレス盤で聞きました。1972年に発売されたCDではなくて、米CBSが1972年に発売したLPと同内容のCDです。「グレイテスト・ヒッツ」には各国独自編集盤があって混同しやすいのでオリジナル編集盤とします。[ JUGEMテーマ:秋の気配 ]
名作「明日に架ける橋( Bridge Over Troubled Water )」を録音している最中に、ポール・サイモンとアート・ガーファンクルの音楽に対する意見の食い違いが表面化して、、、と Wikipedia には記載(2010年9月10日現在)がありますけれども、アートの映画出演が盛んになって録音のスケジュールが思うように運ばなくなったことが解散(と一言の表現では当てはまらないとは、わたしなりには思っていますけれども)という形で活動に終止符を打つことになりました。
小学生の時からの親友同士が音楽遊びをはじめることは至極普通なことで、生活レベルも悪くなかったと思います。トムとジェリーというバンド名で、ヘイ・スクール・ガールをレコーディング。サイモン&ガーファンクルとして活動しているときには学生時代の録音はLP化されてそれなりに評価を受けています。2年ほど前に扱ったことがありましたね。大学時代には音楽活動などしないでお互いの学校生活を楽しんでいたようだし、デビューアルバム「水曜の朝、午前3時」が不評でも気にかけないでポールは旅に出てるし、アートは大学院に戻っているしでレコード会社のプロデューサーがアコースティックギターだけで録音していたレコードにエレキ・ギター、ベース、ドラムスをオーヴァーダビングしてラジオ局にプロモーションしなかったならばふたりはミュージシャン生活を長年続けることになったのか・・・イタズラが招いたこととしか思えません。
オリジナルアルバムはわずかに5枚。1964年から70年にかけての活動としては当時としては少なすぎます。これではCBSとしても契約更新をしていたことかどうか分かりません。オリジナルアルバムに比べてコンパクト盤も含めればベストアルバムの数は倍以上。レコード発売契約のノルマを埋めていたのでしょうか。ライヴテイクがスタジオテイクの間に入っているのは、当時は目新しかったかも知れませんが曲数を埋める苦肉の策だったのかも知れません。
当時のLPレコードと言えば、13曲から14曲を収録するのはお約束でした。でも、5枚のアルバムで聴けるふたりのハーモニーはわたしたちにこの上のない楽しみとなったのですから嬉しい恵みです。
サイモン&ガーファンクル・グレイテスト・ヒッツ [Blu-spec CD]
「明日に架ける橋」が解散を告げるアルバムとなると、日本独自編集のベスト盤(2枚組)が直ぐに発売になりました。そして毎年ギフトシーズンになると「グレイテスト・ヒッツ」と銘打って曲順を変えたぐらいの内容で発売。USオリジナルのベスト盤であるこの「Simon and Garfunnkel's Greatest Hits(1972)」は不運にも日本編集盤の「グレイテスト・ヒッツII」と選曲、曲順共にまるっきり同じ。アメリカ盤の曲目がアナウンスされると日本で勝手に発売の段取りをつけたという物です。確かに当時は今と違ってビートルズを例にとると、英国で発売されて一ヶ月後にアメリカ盤が発売。それから半年から一年経って日本盤が発売されるという流れ。現在はデジタルデータが一斉に各国のプレス工場に配信されますが、当時はアメリカのマスターテープは国外に持ち出せない決まりでしたから、コピーのテープが船便や航空便で届いたりプレス用の原盤が届けられていました。
グループは解散してるし、同じ曲の音源はあるからサイモン&ガーファンクルがブームにあるうちに発売しちゃおうと言うことだったのでしょう。
★オリコン1位となったS&Gのアルバム★
日 付
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期 間
| タイトル |
期間売上
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71/01/18
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1週
| S&G ギフトパック (70年版) |
7.3万枚
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71/02/01
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7週
| 明日に架ける橋 |
44.0万枚
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71/07/12
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18週
| S&G グレーテストヒットII |
35.6万枚
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71/11/22
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10週
| S&G ギフトパック (71年版) |
19.0万枚
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(72/04/04)
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(5週)
| (ポール・サイモン) |
(12.0万枚)
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72/12/11
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3週
| S&G ギフトパック (72年版) |
17.9万枚
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(MS-DATABASE「日本で1位に輝いた洋楽アルバム」より抜粋)
曲目:
アルバム1枚の流れはスムーズで一切のよどみが無くて素敵です。ライヴの拍手がスムーズに前後の曲に繋がっていますし音質のバランスは整っています。エミリー、キャシー、セシリアと女性の名前の曲目が目立っていますね。きっと、同じ名前の女性は熱狂したことでしょうしレコードは宝物になっていたのじゃないかしら。
レコード会社のプロデューサーが無断でエレキバージョンを作ったのはビートルズ人気にあやかろうと思ったのでしょうし、ビートルズとサイモン&ガーファンクルの似ている点はハーモニー(コーラス)・バンドであるところ、そして学生時代の友達同士であったり活動時期が1963年から70年で終焉を迎えているところなど良く似ています。取り立ててこの2つのグループだけのことではなかったとも考えています。
お友達同士で結成されてずっと不動のメンバーのグループ名という存在は、1970年を境にブランド名的な在り方に変わっていきました。ジェファーソン・エアプレインは飛行機からジェット機になったり、結成時のメンバーと現役のメンバーとで同じバンド名を名乗っていたりとか。バンド名だけが残って音楽性も異なっていったグループもありましたね。1970年という年は、ロック音楽にとっての大きなキーワードです。