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枇杷も降り続ける雨で落ちる一方です。今年は玄関前の枇杷の気持ちから強く背丈が伸びて、実をつける様になりました。先日写真を撮っていたら近所の奥さんたちがわいわい。通りからは見えない家の脇に実っている実をお勧めしておいたのに、雨が降るのが今年は多くなりそうです。 http://amzn.to/iIDjJZ
あちらこちら川は増水状態で、床下浸水の被害になっている住宅も多い熊本。6月の平均雨量の倍近く降っていることになるそうです。
長雨が続くものだから、16日の皆既日食に関しても熊本は門外漢の意識。イヴェントも盛り上がり自体が賑わっていないムードで、東関東大震災のショックがずばり飛び火している感じがします。色々と支援をするのは良い事だけれども尽くしすぎないで欲しいものです。住居を提供して、受け入れにも積極的。でも、被災地から引っ越してきた人たちを賑やかに迎え入れるわけにも行かないと自重ムードが熊本人の性分で上手くやりくれていない物だから、“まあ今年は中止しましょう”か、といった感じです。
来月は七夕。そろそろ何かしようかと話題が出て良い頃合いなのですが、空を仰いでも“キラキラ星”は見えにくく、一人陽気にとはまいりません。今年の七夕は、どう迎えようかなぁ。
ドホナーニがモーツァルトが愛らしい変奏曲に使ったフランス童謡のメロディーで、ど派手なファンファーレではじまり、重々しい長大な変奏曲を作曲した1914年は、第一次世界大戦が勃発した年。これを発表した良く15年には、オーストリア・ハンガリー二重帝国だったドホナーニの母国は、ドイツ、イタリアとの三国同盟で戦火の最中にありました。ドホナーニの作曲動機や意図したのがあるのか無いのか、それは知らない方が良いかもしれない。
重厚だけど曲は面白い。録音が少ないのは、編成が巨大でピアノが難しいし、聴き手からの問いかけが多くありそうで面倒になりそうだからかもしれません。どういう経緯があろうとも、触れないで距離を置いておきましょうというところでしょうか。[ JUGEMテーマ:耳に残る音楽 ]
マーラー
交響曲 第3番 ニ短調
《第3番》はマーラー(1860〜1911)が自作について言葉による説明を試みようとした最後の交響曲であり、初演の際には次のようなプログラムが聴衆に配られたといわれる。
『夏の朝の夢』
後にすべて削除されたプログラムではあるが、少し前の版では、第1部の序奏に「岩山が私に語ること」という言葉もあり、各楽章の表題を一直線に関連づけるならば、まず岩山のように生命のない自然のなかに夏がやってきて、この世界に生命が呼び覚まされる(第1楽章)。そして植物が、ついで動物が活動しはじめ、語りだす(第2、第3楽章)。次にこの世界に登場してくるのは人 間だが、人間はこの世では癒されぬ苦痛や嘆きを抱え、苦悩する存在である(第4楽 章)。そこで人間は神と人との仲介者である天使に助けを求める(第5楽章)。最後には神の愛が人間を救済する(第6楽章)。生命のない物質から植物、動物、人間、天使、神へと楽章を追うごとに、より位階の高い存在物が登場してくる新プラトン主義的な「存在物の階梯」が意図されていたわけである。
けれども、さらに注目すべきなのは、常識的な理解では「神」やプラトニズムの不倶戴天の宿敵であるはずのニーチェの詩が第4楽章に採用され、しかもこの詩の唱える「永遠回帰」の思想が曲の形式そのものによって裏打ちされていると感じられることである。つまり、第1楽章では冬から夏への季節の移り行きが3度にわたって描かれるし、第6楽章は冒頭の主題が3度にわたって変形されつつ繰り返される複変奏曲だ。1890年代のドイツ語圏ではニーチェ・ブームが起こり、R. シュトラウスの《交響詩「ツァラトゥストラはこう語った」》も1896年の作曲だが、この曲とニーチェ思想との結びつきを単なるブーム便乗以上のものと考 えるなら、「神の死」後の荒々しい森羅万象を描き尽くした巨大な「田園交響曲」として聴くことも不可能ではあるまい。
作曲年代:1895 〜 1896 年
初演:1902年6月9日、ケルン近郊のクレーフェルトにて。作曲者指揮、ケルン・ギュルツェニヒ管弦楽団とクレーフェルト市立管弦楽団(合同)、オラトリオ協会女声合唱団、聖アンナ児童合唱団、ルイーゼ・ゲラー・ヴォルター(アルト)
楽器編成 :
[ JUGEMテーマ:オーケストラ ]Posted via email from Classical Concert