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金曜日は、ゲオルク・フリードリヒ・ヘンデルの作品をお送りします。まず、ヘンデルの《ハープシコード組曲》第1巻(1720)から、組曲 第2番 ヘ長調、そして1732年にヘンデルの認可のもと出版されたソナタ集 作品1から、バイオリン・ソナタ イ長調 作品1第3をお聴きいただきましょう。その後、ヘンデルが1746年に作曲したオラトリオ《マカベウスのユダ》から、序曲と、英雄マカベウスのユダが登場し、民衆が声をあげて出迎える、第3部の場面をお送りします。この第3部の、民衆がユダを出迎える音楽は、学校の卒業式などで演奏されることが多く、私たちになじみ深いものと思います。そして締めくくりに、ヘンデルのオルガン協奏曲 変ロ長調 作品7第3をお楽しみください。
「ハープシコード組曲 第1巻」から
組曲 第2番 へ長調
ヘンデル作曲
ハープシコード:ソフィー・イェーツ
(9:00)
<Chandos CHAN 0669>
バイオリン・ソナタ イ長調 作品1第3
ヘンデル作曲
バイオリン:ヒロ・クロサキ
オルガン:ウィリアム・クリスティ
(7:37)
<東芝EMI TOCE-55571>
オラトリオ「マカベウスのユダ」から
「序曲」「見よ、勇者は帰る」「行進曲」「神への賛歌」
ヘンデル作曲
カウンター・テノール:ジェームズ・ボーマン
テノール:ジェイミー・マクドゥーガル
合唱:オックスフォード・ニュー・カレッジ合唱団
合奏:キングズ・コンソート
指揮:ロバート・キング
(12:49)
<Hyperion CDA66641/2>
オルガン協奏曲 変ロ長調 作品7第3
ヘンデル作曲
オルガン:クリスティアン・シュミット
合奏:シュツットガルト室内管弦楽団
指揮:ニコル・マット
(18:25)
<Brilliat classics 92296/3>
木曜日はまず、17世紀末にウィーンの聖シュテファン大聖堂のオルガニストをつとめたヨハン・カスパー・ケルルのオルガン曲をお聴きいただいたあと、18世紀前半にウィーン宮廷楽長をつとめたフックスが作曲した復活祭のためのモテットをお送りします。フックスに次ぐ存在として、ウィーンの宮廷副楽長をつとめたのは、ベネチア出身のアントニオ・カルダーラでした。カルダーラは、宮廷行事のために多くのオペラを作曲しています。今朝は、1734年11月に上演されたカルダーラの歌劇《皇帝ティトゥスの慈悲》から、序曲と、第2幕のティトゥスのアリアをお聴きください。このオペラの台本は、18世紀の大詩人ピエトロ・メタスタージオが書いたもので、1791年にはモーツァルトもこの台本に作曲をおこなっています。さらにカルダーラの曲集《12のシンフォニア》から、シンフォニア 第12番をお聴きいただいたあと、やはり18世紀前半にウィーンで活躍したイタリア人音楽家フランチェスコ・バルトロメオ・コンティのカンタータ《私の魂は切望します》をお聴きいただきます。(解説は加藤拓未さん)
カンツォーナ 第5番 ハ長調
ケルル作曲
オルガン:グスタフ・レオンハルト
(3:11)
<Sony records SRCR 1885>
もろびと手を打ち、ラッパを鳴り響かせて喜べ
フックス作曲
テノール:ペーター・シュライアー
トランペットと指揮:ルートヴィヒ・ギュトラー
合奏:ヴィルトゥオージ・サクソニエ
(15:43)
<Berlin classics BC1077-2>
歌劇「皇帝ティトゥスの慈悲」から
序曲
アリア「皇帝の主権にとって、親しい神々よ」
カルダーラ作曲
ティトゥス(アルト):ミヤ・フラカッシーニ
合奏:スタジョーネ・アルモニカ管弦楽団
指揮:セルジオ・バレストラッチ
(9:52)
<Bongiovanni GB 2360/61-2>
「12のシンフォニア」から シンフォニア 第12番
カルダーラ作曲
合奏:サラマンカ大学バロック管弦楽団
指揮:アンヘル・サンペドロ
(5:08)
<Verso VRS 2001>
カンタータ「わたしの魂は切望します」
コンティ作曲
メゾ・ソプラノ:マグダレーナ・コジェナー
合奏:ムジカ・アンティクァ・ケルン
指揮:ラインハルト・ゲーベル
(13:23)
<ユニバーサル UCCA-1046>
学問的思考にたずさわる人間には二つの精神の型がある、とハイエクは述べている(「精神の二つの型」)。一つは「記憶型」とでも呼ぶことのできるタイプで、普通はこちらが幅を利かせている。この型の人は多くの書物を読み漁り、細々した事実や用語を頭の倉庫にいっぱい詰め込んでいる。臨機応変に在庫品の中から必要な知識を取り出し、学の既成の地図に沿ってうまくそれらを配置する。流行に敏感で、学の全領域に通じていなければ気がすまない。この型の精神にとっては在庫の新鮮さとその総量が勝負の決め手となるのである。
「記憶型」の精神に対置されるのが「混乱せる頭脳」である。前者が書いたりしゃべったりしている言葉を見聞きしても、その言葉はどこか上滑りしているという感じを持つ。彼らはまるで言葉と事物が一対一に正確に対応しているかのようにしゃべっているが、何かを言い損ねているという感じがしてしようがない。ハイエクによれば、この精神型の人間は「言葉なき思考」に頼るために、そう感じるのである。目的地を目指そうにも言葉の地図を持たないから、一人でその道を開拓していかなければならない。偉大な仕事を成し遂げてきたのは、記憶型とは違ったこの型の人間だと彼は言っている。
ハイエク自身はどうかと言えば、ごく控えめに、自分はどうやら混乱せる頭脳のタイプに属するのではないかと告白している。言葉なき思考がまず先にあって、それを何とか言葉に変えようとするのが、彼のいう言語プロセスである。本を読んだり話を聞いたりして得るところがあるのは、それが自分自身の「考えの色合い」を変えてくれることによる。知識の在庫を補充するためでなく、自分の思考に変更を迫ること、他人の観念や概念を知るためでなく、自分の観念・概念の間の関係に修正を迫ること、それが読書の効用だとハイエクは言う。(p.43-44)